政治家としての思いPHILOSOPHY

わたなべ拓 理念

親の大恩と地域

いまから30年前、13歳のときに高校教員だった父を事故で亡くしました。

その後、専業主婦だった母が時給700円のパートで身を粉にして私と妹を育て上げてくれました。その母も震災の年にガンが再発し、半年間の付き添い看病もむなしく亡くしました。人生には「あり得ない」「まさか」のことが現実に起こることがあることを、身をもって体験してきました。母子家庭出身者として「ひとり親家庭」の支援は自らの使命と心得ます。

かつて学校で父を殴った生徒をなぜか父は我が家に招いて共に食卓を囲んだことがありました。その画に描いたような「不良」生徒が父の葬儀で泣き崩れる姿をみて、父の死の悲痛さとともに、教育が人に与える影響、その偉大な力が脳裏に刻まれました。わたなべ拓は、未来への最大の投資「教育の質の向上」に取り組みます。

悪徳サラ金に騙された母方の祖母の生活を護るため、数年間にわたり裁判、祖母の入・転院、介護、金策、訴訟指揮などに奔走し大変な辛酸をなめました。そのためもあり、弱い立場、辛い立場にある方への思い入れ、正義感が強いといわれます。高齢者の身体的・法的安全・安心を確保し、孤立化を防止し、誰もが住み慣れた地域社会で安心して人生の最後を迎えられる社会をつくることは、高齢者だけでなく全世代の安心と安全にもつながる重要課題です。わたなべ拓は、高齢者の安全・安心を確保し、持続可能な医療・福祉システムを創り上げます。

自分がどうにか生きてこれたのは、知を愛し生徒から慕われた父の背中、母の不屈の愛情と勤勉、折々に出会った良い大人達の配意の御蔭です。どんな家庭環境にあっても、自分の価値を信じられるような大人と子供の絆が必要です。この世から「希望格差」という概念を解消することがわたなべ拓の究極の願いです。わたなべ拓は、どんな家庭環境、経済環境にあっても、自分の人生を切り拓いていける基本環境整備を進めて参ります。

さまざまな仕事

私は昭和51年(1976年)生まれで、バブル崩壊後に学生時代を送り社会に出ました。いわゆる「就職氷河期世代」に当たります。最初こそ恵まれた仕事(外資系経営コンサルティング会社)に就いたものの、旧司法試験受験のため離職したことから、いろいろな経験をすることになりました。いったんトラックから「外れる」と、「再起」するのに大変な困難がともなうことを身をもって体験しました。サラリーマン(経営コンサルタント、営業管理職)、個人事業主(管理職から志願して職種転換し営業職へ)、資格試験のためのアルバイト生活(塾講師、家庭教師、電話営業)、国家公務員(研究職)など、いろいろな立場を経験してきた自分だからこそ、様々な立場の方々の苦しさ・辛さ・悔しさを理解し、寄り添うことができます。自らが経験してきたからこそ、「再チャレンジ」「REスタート」可能な社会の仕組みが必要だと考えます。

自らも社会人となってから新たに学びました。長寿命化する一方で加速度的に変化が進む「人生100年時代」においては、人生の途中で学び直し、変化に適応し、誰もが納得のいく「第二の人生」「第三の人生」を歩める社会になるべきだと考えます。わたなべ拓は、生涯にわたって必要な学びを得られるリカレント教育を推進します。

学問と政治

早稲田大学法学部では司法試験の勉強に励む一方、政治家を志し早大雄弁会では演練幹事として弁論やディベートに明け暮れる学生生活を送りました。社会人を経験してから、大学院で学び直しました。あの民主党政権にみられたように、外交・安全保障について無知な政治家が権力の座に就いてしまうと、その莫大なツケは国民が払わねばならず、簡単に亡国の淵まで追い込まれるのが冷徹な国際社会の現実です。安全保障と外交のプロとなり我が国を護るため、防衛大学校大学院にて国家安全保障(インテリジェンス)について研究しました。安全保障には、国防だけでなく、激甚化する自然災害、各種インフルエンザ等感染症への対処も含まれます。安全保障の専門家として、多様な危機に対処し「安全・安心」を確保することが、わたなべ拓の使命です。

政治家として

私は、親族に政治家は一人もいませんし、政治家の秘書経験もありません。出馬を決心し、防衛省防衛大学校を退官して故郷宮城へ帰りました。文字通りの独りぼっち、徒手空拳のなかから、皆様と御縁を紡ぎつつ、お引き立てをいただき、仙台市議会議員の議席をお預かりして4年が経ちました。二代・三代目など世襲議員や元議員秘書ならではのメリットは少なくありません。しかし、政治に全く無関係な普通の家庭出身で、一般の社会経験を経てきた「普通の」感覚を基に、既存の政治を変えようと挑戦できることを幸いに感じます。

政治家になる時に自らに誓ったことは、全ての議会において必ず議会質問を実施することです。今年で130周年の仙台市議会史上で、任期中全ての議会において議会質問に立った唯一の議員になりました。議員としての本分は、議会において社会課題を指摘し、解決の必要性、実現可能な解決の方向性、道筋を示し、解決へ向けて行政に促しを与えることにあります。議員の本分に忠実な活動で一貫してきたことだけは密かに誇りとするところです。

議会質問を通じて実現してきた政策の一例として、①発達障害の抜本的支援拡充策として「発達相談支援センター」(アーチル)に専門医2名配置を実現しました。他にも②「給食公会計化」による教員の負担軽減、③VR(ヴァーチャル・リアリティ)技術で仙台城下を再現する映像コンテンツ創出、④産業振興事業団の機能強化による中小企業支援、起業家支援策拡充、⑤虐待防止のためのペアレント・トレーニング・プログラム導入、⑥東北大学メディカル・メガバンクのゲノム医療活用による「個別化医療」「超早期予防」へ向けた連携、⑦広瀬通イチョウ並木伐採反対と一部現地保全と移植(AER北側)実現、➇仙台市博物館特別展における郷土先人の史上初の展示実現などが挙げられます。

これからも、身近な困りごとだけではない、中長期の社会課題にも先駆的に取り組む政治家を目指し精進します。

過去と未来の間にある現在

「縦軸」を大切にすることの重要性を思います。沖縄県やパラオ諸島などで、戦没者の慰霊・遺骨収容活動をボランティアで12年間ほど続けています。平成30年には、20日間にわたり硫黄島で政府派遣の遺骨収集事業に従事し、多数の御遺骨を自らの手で発掘しお迎えしました。「そりゃないだろう!」という戦没者の慟哭が伝わってきます。先人のご無念をしっかりお受け止めすることは、後世に生きる者として最低限の責務だと考えます。

大槻文彦(近代的国語辞書の父)、横尾東作(硫黄島を日本領にした人)、梅澤道治(日露戦争「花の梅澤旅団」)、岩崎卓爾(石垣島近代化の父)など、知る人ぞ知る郷土偉人の業績を伝えることをライフワークにしてきました。数次にわたり議会質問を繰り返し、仙台市博物館『戊辰戦争150年特別展』において、これらの郷土先人の展示に結実したことは忘れられない思い出となりました。

なぜ過去を大切にするのか。過去を大切にすることで、我々の「平凡な」現在が決して「当たり前」に実現できたものではないことがわかるからです。無数の「恩人」のお陰様で我々が「生かされている」ことがわかるからです。「恩」知らずなうちは、「自分も、他人のために」とは思えないものではないでしょうか。過去の無数の先人の血と汗と涙、祈りの先に我々がいることを知って、我々もはじめて「For me」から「For you」な在り方に変わることができるように思います。心から、「先輩方、ありがとうございました」と思います。

そして、先人の視点を知ると、未来への責任も芽生えてくるように思います。いまはまだこの世にいないけれど、いつか未来において出会うことになる後輩達の前に立ったとき、恥ずかしい思いをしたくありません。彼らに、いまよりも良い社会を創り上げて、引き渡せるよう努めるのが、現在に生きる我々の務めと考えます。我々もそうしていただいたのですから。

過去に対する感謝と、未来に対する責任感を、現在に生きる全ての世代が自覚し行動することで、「持続可能な社会」は必ず実現できると信じます。

「希望格差」を解消し、「再チャレンジ」「REスタート」可能な社会を構築し、「安全・安心の確保」の専門家として、我が国、我が郷土宮城県に「持続可能な理想社会」を皆さまと創り上げることが、政治家としてのわたなべ拓の使命と心得ます。宮城県政を変えるチャンスを、わたなべ拓にください!しっかり頑張ります!

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