「生い立ちと政治家としての思い」 目次
親の大恩と地域
13歳のときに高校教員だった父を事故で亡くしました。大酒飲みの人情家でした。
その後、専業主婦だった母が時給700円のパートで身を粉にして私と妹を育て上げてくれました。無量の慈悲と忍耐の人でした。その母も、震災の年に、娘の非行に悩まされながら胃がんの再発で亡くしました。
人生には、「あり得ない」ことが現実に起こることがあることを、13歳から身をもって経験してきました。
自分がどうにか生きてこられたのは、読書家で人情味があった父の背中、母の圧倒的な愛情と忍耐、そして有償・無償奨学金のおかげです。
修学旅行で引率の父を殴った生徒をなぜか父は我が家に招いて共に食卓を囲んだことがありました。当時の私は理解に苦しみましたが、その一年後、その画に描いたような「不良」生徒が父の葬儀で泣き崩れる姿をみて、父の死の悲痛さとともに、教育が人に与える影響、その偉大な力が脳裏に刻まれました。
どんな家庭環境にあっても、自分の価値を信じられるような大人と子供の絆があれば子供は起ち上がれます。そして、社会に参画する準備としての教育は「未来への最高の投資」となります。
私自身、政治家ですが時間管理や片付けが苦手なこともあり、「発達障害」など「でこぼこの特性」をもつ方々に思い入れがあり、お力になりたいと支援に携わってきました。議会質問初陣だった平成27年9月議会で「発達相談支援センター・アーチルに常勤の発達障害専門医の配置を」と訴えてから3年にわたる働きかけの後、平成30年4月に「アーチルに2名の常勤の専門医配置」が実現しました。これにより、学校現場や地域への出張診療が可能になり、以前は1~2カ月待ちだった診察待機期間も1~2週間程度と大幅に短縮化できました。発達上の不安を抱えている多くの児童・生徒、成人とご家族がアーチル専門医の診断・相談を受けています。
どんな境遇にあっても、自らの夢や思いを実現できる社会にしたい。母子家庭出身者として「ひとり親家庭」の支援は自らの使命と心得ます。この世から「希望格差」を解消することが、私の究極の願いです。どんな家庭環境、経済環境にあっても、どんな特性をもっていても、自分の人生を切り拓いていける社会とするため、わたなべ拓は「安心できる居場所づくり」「発達障害支援拡充」「高等教育の無償化」の実現に取り組みます。
高齢者の安心
悪徳サラ金に騙された祖母の生活を護るため、数年間にわたり裁判、祖母の入・転院、介護、金策、訴訟指揮などに奔走し、大変な辛酸をなめました。そのためもあり、弱い立場、辛い立場にある方への思い入れ、正義感が強いといわれます。
高齢者の孤立を防ぎ、安全・安心を確保し、誰もが住み慣れた地域社会で安心して人生の最後を迎えられる社会をつくることは、高齢者だけでなく全世代の安心・安全にもつながる重要課題です。わたなべ拓は、急激な人口減少社会の現実を直視したうえで、高齢者の安全・安心と、持続可能な医療・福祉システムの両立を実現します。
挫折と再起
私は昭和51年(1976年)生まれで、バブル崩壊後に学生時代を送り社会に出ました。いわゆる「就職氷河期世代」に当たります。最初こそ恵まれた仕事(大手外資系経営コンサルティング会社)に就いたものの、旧司法試験受験のため離職したことから、いろいろな経験をすることになりました。いったんトラックから「外れる」と、「再起」するのに大変な困難がともなうことを身をもって経験しました。
サラリーマン(経営コンサルタント、営業管理職)、個人事業主(管理職から志願して職種転換し営業職へ)、旧司法試験受験のためのアルバイト生活(塾講師、家庭教師、電話営業)、そして国家公務員(防衛省)、仙台市議会議員(1期)、宮城県議会議員(1期目)など、さまざまな立場を経験してきた自分だからこそ、それぞれの方々の苦しさ・辛さ・悔しさを理解し、寄り添うことができます。「誰一人取り残さない社会」であるためにも、急速な働き手の減少という現実に対応するためにも、「再チャレンジ」「REスタート」可能な社会の仕組みが必要だという強い思いがあります。
こうした思いから令和元年10月の県議会議員選挙の公約に「就職氷河期世代の正社員化」を掲げました。令和2年2月議会において、わたなべが「就職氷河期世代」の宮城県正規職員採用を訴え、村井知事の英断で令和3年4月に17名の「就職氷河期世代」宮城県正規職員が誕生しました。最高にやりがいを実感した瞬間でした。苦労を重ねてきた「就職氷河期世代」だからこそ、県民に寄り添う血の通った行政実現に寄与していただけることを確信します。
学問と政治、人生百年時代
早稲田大学法学部では司法試験の勉強に励む一方、政治家を志し早大雄弁会では演練幹事として弁論やディベートに明け暮れる学生生活を送りました。
社会人を経験してから、大学院で新分野を学びました。あの民主党政権にみられたように、外交・安全保障について無知な政治家が権力の座に就いてしまうと、その莫大なツケは国民が払わねばならず、簡単に亡国の淵まで追い込まれるのが冷徹な国際社会の現実です。安全保障と外交のプロとなり我が国を護るため、防衛大学校大学院にて国家安全保障(インテリジェンス)について研究しました。安全保障には、国防だけでなく、激甚化する自然災害、武漢発の新型コロナウイルス感染症等への対処など危機管理も含まれます。安全保障・危機管理の専門家として、多様な危機に対処し「安全・安心」を確保することが、わたなべ拓の使命です。
長寿命化が進む一方、社会経済が加速度的に変化していく「人生100年時代」においては、人生の途中で学び直し、変化に適応し、誰もが納得のいく「第二の人生」「第三の人生」を歩める社会になるべきだと考えます。わたなべも、令和3年春からは、県議会議員のかたわら、東北大学大学院医学系研究科修士課程で「公衆衛生学」を研究します。わたなべ拓は、生涯にわたって必要な学びを得られるリカレント教育を推進します。
政治家として
私は、早稲田の学生時代に政治に志を立て、早大雄弁会で修業しました。しかし、親族に政治家は一人もいませんし、政治家の秘書経験もありません。出馬を決心し、防衛省防衛大学校を退官して故郷宮城へ帰りました。文字通りの独りぼっち、徒手空拳のなかから、皆様と御縁を紡ぎつつ、お引き立てをいただき、仙台市議会議員の議席をお預かりし、次いで宮城県議会議員の議席をお預かりしております。
政治の世界には「二代目・三代目」など世襲議員や元秘書は少なくありませんが、彼らを否定するつもりはありません。ただ、私は政治に全く無関係な普通の家庭出身で、一般の社会経験を基に、既存の政治を変えようと挑戦することに矜持をもっています。
議員としての本分は、議会において社会課題を指摘し、解決の必要性、実現可能な解決の方向、道筋を示し、解決へ向けて行政を働きかけることにあります。議会史上最多数質問議員であった仙台市議時代から、政治家の本分に忠実な活動で一貫してきたと自負しています。
ノルウェーの劇作家イプセンの戯曲『民衆の敵』では、主人公の倫理観、正義感と、民衆の金銭的利益が対立し、主人公はその正義感・倫理観ゆえに「民衆の敵」とされる人の世の悩ましさが描かれています。真の政治家とは、ときにこうした意味における「民衆の敵」となることも辞さない人物であると信じます。
議会質問を通じて実現してきた政策
【仙台市議会議員】時代には、①発達障害の抜本的支援拡充策として「発達相談支援センター」(アーチル)に専門医2名配置を実現しました。他にも②「給食公会計化」による教員の負担軽減、③VR(ヴァーチャル・リアリティ)技術で仙台城下を再現する映像コンテンツ創出、④産業振興事業団の機能強化による中小企業支援、起業家支援策拡充、⑤虐待防止のためのペアレント・トレーニング・プログラム導入、⑥東北大学メディカル・メガバンクのゲノム医療活用による「個別化医療」「超早期予防」へ向けた連携、⑦広瀬通イチョウ並木伐採反対と一部現地保全と移植(AER北側)実現、⑧仙台市博物館特別展における郷土先人の史上初の展示実現を実現しました。
【宮城県議会議員】としては、就任1年目で
- 宿泊税阻止(令和2年2月議会で、わたなべが全国で最高額の300円課税は新型コロナ下もあり無謀。アニメ・アイドル宣伝偏重の観光施策のための課税は不毛と訴え、知事が撤回)
- 宮城県美術館現地存続(令和2年6月議会で、わたなべが提案した「増築なしの改修現地存続(=C案)」が採用される)
- 全県立高校普通教室へのエアコン設置実現(令和2年6月議会で、わたなべがわずか3%と全国でワースト3位のエアコン設置率、熱中症リスクを訴え民放で放映されました)
- 「就職氷河期世代」の宮城県正規職員採用を実現(令和2年2月議会でわたなべが訴え、村井知事の賛意を得て令和3年4月より17人の同世代正規職員が誕生します)
- 経済商工観光委員として、経済産業省・県と連携し「チャイナ・リスク」回避のため県内企業による国産ナノファイバー製マスクの県内工場設置のための国・県補助金(「サプライチェーン対策のための国内投資促進事業費補助金(経済産業省)」、「サプライチェーン構築支援事業補助金(宮城県)」採択の支援)県内企業の国・県補助金採択に帰結。
- 県内企業と連携し、仙台市に対する「医療用ガウンなど備蓄用衛生資材」の資材調達・製造・納入のための支援を実施。1万2千着の納入実績。
- 令和元年11月議会でわたなべが「旧笊川樋門」に排水機場を設置すべきと訴え、太白区選出議員団としても知事に要望活動。令和2年に国の補助で排水機場設置の方針決定などの実績を挙げることができました。
これからも、身近な課題だけではない、中長期の大きな社会課題にも先駆的に取り組む政治家を目指し精進します。
過去と未来の間にある現在
「縦軸」を大切にすることの重要性を思います。沖縄県やパラオ諸島などで、戦没者の慰霊・遺骨収容活動をボランティアで10年以上続けています。平成30年には、20日間にわたり硫黄島で政府派遣の遺骨収集事業に従事し、多数の御遺骨を自らの手で発掘しお迎えしました。御遺骨(すなわち、戦死者)にとっては、亡くなって最初に出会う日本人が私であるということの重みを痛感します。戦死者から見た自分とはいったい何者か。国家、民族、近代史、戦争、戦後史をいかに背負って、私はそこに立ち現れたのかが問われるように思えます。せめて、先人のご無念をしっかりお受け止めすることは、後世に生きる者として最低限の責務だと考えます。
大槻文彦(近代的国語辞書の父)、横尾東作(硫黄島を日本領にした人)、梅澤道治(日露戦争「花の梅澤旅団」)、岩崎卓爾(石垣島近代化の父)など、知る人ぞ知る郷土偉人の業績を伝えることをライフワークにしてきました。数次にわたり議会質問においても取り上げ、仙台市博物館『戊辰戦争150年特別展』において、これらの郷土先人の展示に結実したことは忘れられない思い出となりました。
なぜ過去を大切にするのか。過去を大切にすることで、我々の「平凡な」現在は決して「当たり前」に実現できたものではないことがわかるからです。無数の「恩人」のお陰様で我々が「生かされている」ことに気づかされるからです。
親子関係もそうかもしれませんが、成長するにつれて、親にかけてきた苦労の大きさ、親の愛情の深さなどがわかってはじめて、親の「大恩」に対する深い感謝と報恩の気持ちが湧き上がってくるように思えます。過去の無数の先人の血と涙と汗、祈りの先に我々がいることを知ること。そのうえで、そうした先人に感謝し、自国の歴史や文化を素直に肯定できる社会を皆さんで創ることが理想です。
そして、先人の視点を知ると、未来への責任感も芽生えてくるように思います。いまはまだこの世にいないけれど、いつか未来において出会うことになる後輩達の前に立ったとき、恥ずかしい思いをしたくありません。彼らに、いまよりも良い我が国、郷土を創り上げて、引き渡せるよう努めるのが、現在に生きる我々の務めと考えます。我々もそうしていただいたのですから。
- 先人と後生に恥じない持続可能な先進的社会を拓く。
- 「希望格差」を解消し、「再チャレンジ」「やり直し」可能な社会を拓く。
- あらゆるリスクからの安全が確保され、全ての世代が安心して生きることができる「賢慮」に満ちた社会を拓く。
- 我々宮城県民の潜在力を最大限に開放し、誰もが生きる歓びを実感できる理想社会をここ宮城県に拓く。
誠実で責任感ある県民の皆様と共に、持続可能な社会を拓くため、わたなべ拓は戦ってまいります。